パウンドケーキ
パウンドケーキを焼いてキッチンに置いておくと、いつの間にか、だんだん小さくなり、最後にひとかけらだけ残っている・・・キッチンに、ねずみさんが出るに違いない 笑
つい数日前、イギリスにいる、相方のおばさんが亡くなった。もう96歳なので大往生。ご主人を亡くしてから、なくなる数日前まで、一人で暮らし。高齢になっても毎日台所に立ち、自分でご飯を作り、子供と孫とその孫と、更には彼らのボーイフレンドの写真までリビングにいっぱい飾り、彼らはどうやって付き合い始めたのかだの、二人でどこに引っ越しただの、大学で何を勉強しているだの・・・とにかく、全部しっかり記憶していて、足は悪かったけど、素晴らしい記憶力、頭がとてもはっきりしている、矍鑠としたおばあさんだった。
相方は、幼いときにお母さんを亡くし、いわゆる継母に育てられ、(自称)愛のない幼少期だったらしいが、このおばさんのおかげでぐれずにすんだ。おばさんは、お家は貧しかったけど、とにかく夫婦そろってとても働き者で、相方にも大きな愛情を注いでくれ、家族のように受け入れてくれた。彼にとっては、実のお母さんのような存在だったんだと思う。
このおばさん、年をとって、一人暮らしになっても、昔と変わらず、相変わらず、毎朝サンドウィッチやら、ソーセージロールやら、マフィンやらを山ほど作り、キッチンにはいつも食べ物が一杯。 近所に住むおばさんの子どもたちや、隣人や、水道工事の人などなど、とにかく人が来ると、それらをつまみ、お茶を一杯飲んで少しおしゃべりをして帰る・・・そんなわけで、一人暮らしだったけど、常に誰かが、出入りする家だった。
そんな大切なおばさんが亡くなったのに、コロナの中、国に帰ることもお葬式に行くこともできない。その日、私達は、私がそのおばさんにもらった靴を出してきたりして、ベランダで、彼女の思い出話をしたりして、しばし彼女に思いを馳せた。
彼は、色々幼少期の思い出がこみ上げるようで、しばらく物思いにふけっていたが、その後、彼女へのレクイエムを書いた。
M***、M***、Beautiful ladyから始まり、つらつらと、子供の時キャンプに連れて行ってもらった思い出や、彼女への感謝の気持を表す、彼にしてはとてもできの良いレクイエム。
貴方の家のカップボードは、いつもサンドウィッチやクッキー、マフィンなどに溢れ、貴方は常に誰が来ても、どんな人でも受け入れてくれる・・そんな人でした。そんな貴方とこの人生で出会えたことは、僕の喜びだ。
またいつか、貴方に会えることだろう。その時は、貴方の人生の話をまた聞かせてほしい。一緒にお茶でも飲もう。で、締めくくられていた。
これを書いている今も、思い出すと涙が出てきてしまうような、とても愛に溢れた素晴らしい弔事だった。
ところで、私は、ご飯は作るけど、ベーキングは滅多にしない女。ニュージーランドに来る前は、1回もお菓子をつくったことはないくらいだ。
でも、このおばさんや相方に思いを馳せると、イギリス人にとってベーキングは、日本人にとってのおにぎりのようなものだろうし、彼にとっては、おばさんの温かい家族の思い出とリンクしているものなんだろうな・・・・と感じた。
ベーキングは私のテリトリーではないし、要求されたこともないけど、これからは、いつも何かしら作っておいてあげようかな・・・と思い、焼いてみたパウンドケーキ・・・何も言わずにおいておいても、何も言われずに、少しずつ小さくなっていく。それを見て、今までほとんどスイーツを作ってあげなくてごめんよ、、、と思った。
お料理って、「コミュニケーション」、そして食べ物って「愛」だな・・・・と感じた。